やけに涼しい、悲しくなるくらい澄み切った朝にしみじみ思うのです。
椎間板ヘルニアになった事で初めて分かった事もあるんだな、と。
痛みに対する感覚の鋭さ鈍さ、というのは個人差が大きいという事は、若い頃に彫師の方から聞いた事がありました。で、私自身はどうも、かなり鈍い部類らしい。
確かに今まで、映画のように気前良く斬られてみたり、夢のようにたくさん折れてみたり、冗談のように轢かれてみたり、千切れてみたり焼かれてみたりと思い返せば実に多彩な傷付き方をして来たけれど、痛みに悶絶した、という記憶はないのです。勿論ある種の時には脳内に然るべき物質が分泌されているから痛みを感じないのだろうけど、ある時から痛みを感じない様にするコツを覚えたと思うのです。
あれは確かオーストラリアに初めて行った時のこと。
当時のパースには、裸足で生活している若者がたくさんいた。当時の私は19歳の誕生日を迎えたばかりの若造で、その年頃の若者の多くの例に漏れずソローやらケルアックやらギンズバーグに傾倒していたので、因習的で安易な物質文明への反発、或は体制の中で歪められた人間性の解放の象徴としての裸足生活の実践が、衝撃的にカッコ良く見えたのです。
で、早速翌日から裸足で暮らしてみた 。
のですが、思ってたよりコレがずっと痛い。それまで気にも留めなかったけれど、世の中の至る所には針の筵の様に尖った小石が散らばっていて、物心ついてから10余年、靴という鉄の鎧に護られてきた私のヤワな足裏は、いつも道の片隅で虐げられている小石君達の恰好の餌食となったのです。
これでは近所のカフェに行くのも一苦労。おまけに大変な思いでようよう辿り着いた足の裏安全地帯であるカフェには靴を履いてなければ入れない決まりだったから、入口でヒップポケットにねじ込んであったスニーカーを引っ張り出して着用するという…。
しかし、若かりし頃の私は、一度始めた事を痛いからとか矛盾だらけだからとか、ポケットの口がビロビロになるからと言ってすぐに引っ込める訳にもいかず、我慢し続ける事一カ月、ある日気付いたのです。足の裏に力を入れるから痛い、という事に。突っ張った足裏の皮には小さい石でさえ実質より大きい存在感を持って突き刺さってくるのだ。逆に、力を抜いて足裏の皮を柔らかくしておくと、何というか、石を包み込むというか、痛みそのものを包み込んでくれるのです。
この小石メソッドが、何と大概の痛みに有効。
痛い時に一度痛みから距離を取って深く息を吸うと、痛みを呑み込める、というか。
まあ、いわゆるちょっとしたコツです。
この術を以て私は、人生に雨槍の如く降り注ぐあらゆる痛みに対応してきたのです。
そして、恐ろしい事にそんな私にしてみたら骨が折れた位で仕事を休もうとする部下なんてただの根性なしだったし、40度そこそこの熱で出勤して来ない上司なんてただの給料泥棒だったのです。
そう。
私には他人の肉体的な痛みが解らなかった。(心のやつはちゃんと解るんですよ)
痛いならあらゆる手段を講じて痛くない状態にして来るのが当然で、それで仕事に穴を開けるなんてやる気がないに過ぎない、と本気で思っていたのです。
二年前の夏、私の腰は長年患っていた坐骨神経痛から椎間板ヘルニアに昇格を果たした。
同じ腰痛とはいえこの二つはもう劇的に違う。椎間板が飛び出ちゃう位違う。
その朝、目が覚めた瞬間から制御不能の痛みが脳天を直撃し、制御出来ないという初めての事態に心は動転した。しかし、あらゆる痛みは自らの精神の状態をコントロールすることで飼い慣らす、ということしか知らない私の気の毒な脳ミソでは、病院に行くという高尚な選択肢は思いも浮かばず、ましてやトラムセットという蠱惑的な錠剤の存在など知る由もなく、結果私はほぼ二日の間文字通りのたうち回った。
三日目の朝、痛みは酷かったけれど、制御出来る範疇まで帰ってきた。そこで私は病院に行けばいいものをダイナーに出勤した。職場というのは自然に緊張するもので、ユニフォームに袖を通すと身体の多少の不具合は感知されなくなる、ということを私は知っていたのです。
ところが、営業が始まっても歩行がままならないどころか支えがなければ立っていることも困難で、結局私はその晩、全くの役立たずだった。
その晩を境に考え方が変わった。
自転車で転げて鎖骨が折れた、と言われても、鎖骨の一本や二本でピーピー言うんじゃないよ、と思わなくなったのです。私にしたらそれは骨が折れただけにしか感じないかもしれないけれど、当人にしたらヘルニアを発症したとき位痛いのかもしれない。ホントは立ってるのも辛いのかも知れない、という風に。
人の痛みが何となくでも分かると人に優しく出来る。
人の有り難みも分かる。
そうすると、今度は人に優しくしてもらえる。
何と良いことずくめ。
しかし、ここまで書いてなんですが、こうやって改めて文章にして読み返してみると、要は、皆さんが小学生の頃には出来るようになったことを私は35歳まで出来なかった、という実にどうでもいい話を書いていたのだ、という事実に気付かざるを得ず、自分でも驚いている次第です。書き出した時は今日こそ良い話を書ける、という予感に満ち溢れていたのに。。
因みに余談ですが、私の裸足生活はその後、ヒッチハイクでオーストラリアをぐるっとしてシンガポールに戻り、国境で捕まったり詐欺にあったり飛び込みチャンピオンになったり材木船に忍び込んだりマラリアになったり牛の内臓を掻き出したり懺悔して後ろに倒れたり、と、紆余曲折を経て日本に帰りつくまで続いたのですが、真夏の東京の灼熱のマンホールを踏んで両足裏に巨大な水ぶくれをつくった事をきっかけに終焉を迎えました。
因習的で安易な物質生活を満喫している今となっては、若かりし頃の良き思い出です。
コンクリートジャングル恐るべし。
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