その教会は通りを少しだけ山の方に入ったところにあった。
少しだけ、と言っても、割と田舎の街の話なので、夜になると車のヘッドライトか教会から漏れてくる光しか辺りを照らすものはなかった。
真夜中になって全ての灯りが絶えると、辺りは丁寧に塗り潰したみたいな黒に覆われてそこには教会どころかそこに続く道すらもないように思われた。
夜の集会は毎週日曜日に執り行われた。
毎週日が暮れた頃、私は居候先の家主であり仕事の先輩でもあるジェイソンとパトリックに連れられて、その教会に渋々足を運んだ。
私はクリスチャンではないが聖書を読んだこともあったし教会に足を踏み入れたことだって何度もあった。内容に共感するか否かはともかく、人々がなにか一つの共通の意識、目的を持った場にいる、というのは何というか、特に何も持たずフラフラしていただけの私を清々しい気持ちにさせてくれた。それに、きちんとした自然の材料を使って造られた建物の中に居るのはそれだけで心地良かった。石造りの高い天井に余韻を残す靴音や、夏でもしんと冷たい木の長椅子が私は好きだった。
それ故、私の中で教会というのは「良い」場所と認識されていた。
にもかかわらず渋々なのには理由があった。
その教会の集会には、私の嫌いな件がひとつあった。
それは、ありがたいことに神に選ばれた3人(私には罰ゲームの被害者としか思えなかった)が、壇上に出てこの一週間で自分が犯した罪を告白して許しを乞う、というものだった。ジェイソンは恐ろしく気の短い男で職場でも路上でも割にいいペースで人を殴ってみたり、仕事中に左手首に付けた牛肉用のいかついフックの使用対象を誤ってみたりしていたから懺悔のネタに事欠かなかったけれど、 私なぞは仕事は恐ろしく真面目にしていたし、大それた悪事を働くような度胸も無かったので、もし自分が指名されたらどうしようか毎回気が気でなかった。参考にすべき多くの善良な皆さんは、火曜の口論の際に妻にごめんと言えなかったとか、水曜の夕食を残してしまったとか、木曜の朝に10分寝坊したとか、私からしたら人前に出て許しを乞う必要等およそ無いような事をやけにしんみりした口調で並べ立てるだけで、それらに何の罪悪感も感じない私には真似のしようもなかった。
一番の問題は、その後の「退治」の件だった。
選ばれし3人が告白を終えると、右端の人間から悪霊(?)の退治が執り行われる。
罪人の目の前には牧師(神父だったのかもしれない)が立ち、後ろには跪いた信徒の男が二人、もうお前を逃がさないぞ、とばかりにぴたりと付く。
牧師、彼の額に手をかざす。そしてかけ声。「ハッッ」。罪人、後ろに仰け反って倒れる。二人の男、罪人をキャッチして抱え起こす。罪人、やけにスッキリした顔。そして宣誓。明日からは神の導く道に則って正しく生きます。一同、拍手。
簡単に言うとこれが一連の流れだったが、場合によっては、倒れた所で罪人がそれこそ何かに憑かれた様にのたうち回って苦しみ出したり、後ろの男がキャッチし損ねて場内に鈍い音が響き渡ったり、一部イレギュラーはあった。
私が恐れたのは、公衆の面前で自分が悪いと思ってもないことをまるで悪いことをしたかの様に虚偽の申請をしなければならないことであるとか、得体の知れない気功みたいな力で後ろに吹き飛ばされることであるとかではなかった。ましてや、後ろの男がキャッチし損ねて後頭部を堅木の床にしたたかに打ち付ける事でもなかった。
私は、掛け声の直後に、私の身に何も物理的な現象が起こらない事を恐れていた。
しかし、恐れている事というのは、往々にして現実になるものだ。
その教会に行き始めて8回目か9回目の晩、その時はやって来た。
予期していたよりも早いようにも思えたし、遅いようにも思えた。何れにしろ、私はいつかその時が来ることを知っていた。
牧師に指名を受けた時、私の頭の中は文字通り真っ白になった。
考えなければ、という意識はあったが、実際何も考えられなかった。私は操り人形のように自分の意志とは無関係に歩き、壇上に登ったが、何が私を操っているのかは知る由もなかった。
順番が来てマイクを渡された私は、かねてから考えていた通り、一昨日の仕事中に手を抜いたことを詫びた。それはいい加減な嘘だったが、「悪いことなど一つもしていません」という勇気が私にはなかった。きちんと懺悔した私には盛大な拍手が送られた。
そしてその後、いよいよ最も恐ろしい瞬間がやって来た。
牧師が私の額に手をかざしたときに既に、私には何故かその直後に私が最も恐れている事が現実になることが解ってしまった。
そして、実際にそうなった。
牧師の掛け声の後、私の身には何の変化も起こらなかった!
私はただそこに立っていた。
私の脳みそは未だその業務を放擲したままだったが、私の全身の皮膚は恐ろしい程の負の空気を感じ取っていた。私は牧師の方を向いてた為皆には背を向けていたが、場内がしんとした事や空気の温度がすっと下がったこと、皆が、例えば殺意に限りなく近い思いをもって私の背中を眺めていること位は解った。私は突然、夜中に真っ黒になった教会を思った。そこにはそこに続く道はおろか、出口さえなかった。中で何が起ころうとも外界には漏れようもなかった。
そこで私は、初めて本当に怖いと思った。
気が付くと私は天井を見上げていた。私の身体は二人の男によって支えられていた。私はどうやら後ろに倒れたようだった。
つい先程まで恐怖の根源だったみんなは、本来の姿に戻って拍手していた。
いや。
もしかしたら私の背中を眺めていた時のみんなの方が本当の姿だったのかも知れない。
いずれにせよ私は上手くやったようだった。
私の周りには祝福の握手や抱擁を求める人達で溢れ返っていたけれど、依然思考回路の停止していた私が如何に振る舞ったかは記憶に残っていない。
極度の緊張から解放された私にはちょっとした山くらいの疲労感がドサッと降りかかってきてすぐにでも寝てしまいたかったが、ジェイソンやパトリックと同じ屋根の下にいる以上もはやそれは望めなかった。ジェイソンもパトリックもあの殺意の群衆の一部だったかと思うと、私にはもう何を信じて良いのか判らなかった。
翌日、私はいつもと同じように二人と一緒に出勤して、いつものように働く振りをしつつもこっそり経理にそれまでの給料を貰い、そのまま何も言わずに工場と街を出た。
バリ島でほぼ全財産を騙し取られて国に帰る飛行機代のために違法労働に従事していた私に、みんなとても良くしてくれた。ジェイソンやパトリック、その他多くの人達にお世話になったけれど、私はそのうちの一人にも挨拶もお礼も言わなかった。
私は知った。あの晩私を否応なく壇上に引きずり出したのが「恐怖」だった、ということを。
それは、それまでに私が識っていた恐怖、例えば、今からとっても痛いことをされる、みたいな恐怖とは全く異質の恐怖だった。もしかしたら、幼い頃夜に対して無条件に覚えた恐怖に似ていたのかもしれないし、自分という存在そのものを抹消されるような、より根元的な恐怖だったのかも知れない。
私はただただ怖かった。とんでもない不義理を犯してまでも、街を逃げ出して遠くに行かなければならなかった程。
確かにあの晩、ルールを破ったのは私だった。
ただ、私には何の悪気もなかった。私のそれまで生きてきたのはわざわざ罪を見つけ出して申請しなくてもよい世界だったし、掛け声と共に後ろに倒れる演技も必要としない世界だったのだ。
世界が外界と遮断されたところで完結してしまうのは恐ろしい。
それが完成すればするほど、そこにそぐわないものに敏感になる。ウイルスが入り込むとすぐに排除しようとする人間の身体に似ているのかも知れない。
牛肉工場に通う道すがらに、MUNDOO(マンドゥー)という街があって、我々3人はいつもその街のスタンドで朝のコーヒーとミートパイを買う習慣だった。
現在私の知っている方で、その思い出の街の名に非常に良く似た名字の男がいて、その方と会ったりその名前が話題に上ったりすると時々だけれど、連鎖してあの時の事を思い出す。
あの朝、あの街から逃げ出さずにもう暫く留まっていたら?
あの時、後ろに倒れなかったら?悪いことなどしていない、と言っていたら?
もちろん答えなんて出ようもないのだけど。
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