映画を観る限りイタリアのマフィアの皆さんというのは随分と手荒い様に見受けられるが、私もまったくそう思う。
勿論私はそんな本職の皆さんとどうこうなったことはない。ただ、少々やんちゃで少なからぬユーモア精神も併せ持ったイタリアの方々と、若干の交流を持ったことがあるだけである。
その人たちは隣の店に勤めていた。
というか、社長のガローネを始め末端の従業員に至るまでイタリア系の移民で構成されていたから、そんなイタリアンなお店が隣にあった、と言った方が正確かもしれない。
原則、彼らは陽気だった。どれ位陽気かというと、私の車のガソリンタンクに水を80リットル注ぎ込む位だ。
あれから17年の月日が流れた今だから認めるが、事の発端は私にあった。
当時私の勤めていたレストランは、一つの建物を均等に三分割したテナント物件の真ん中にあった。正面向かって左側にはベジタリアン達が集うカフェがあったがそこは既に制圧済みで、私たちの次なる敵は、向かって右側に位置するイタリアンレストラン「ガローネ」だった。
そう。全ての21歳がそうであるように私達もまた、自分達が生きていることを立証するための敵を必要としていて、よせばいいのに夜な夜な敵ばかり探し歩いていた。
私達、というのは同僚のチャン(韓国籍)とメッシ(イタリア籍)、チャンの親友のロメオ(韓国籍)で、誰も面白いことを言わないくせに、私達は何故か気が合った。
チャンは本名で、メッシは本当はロッシとか何とか言う名前だったが、かつてとある罪を犯した代償としてゴミ箱に詰め込まれた事件以来messy(=汚い)と皆に呼ばれていた。ロメオは当時付き合い出した彼女(韓国籍)のイングリッシュネームがジュリアだったと云うだけで、ある日急に「今日からオレの事はロメオと呼んでくれ」等とほざきだした変わり者だった。後に私がジュリエットじゃないのに何でロメオなんだ?と投げ掛けた問いに対する彼の答えは、「あ。間違った。」であった。
いや。話が逸れてしまった。
そう、店の立地の話である。
店の建物の前には3店共用の駐車場があったのだが、暗黙の了解のうちに、自分の店の真っ正面に位置する6台分のスペースが、それぞれのお店の専有駐車場と見なされていた。が、この駐車場は従業員だけでなくお客さんも使うので、忙しい週末などは争奪戦が頻繁に起こった。我々は自店の駐車場が一杯になると隣のカフェの駐車場を堂々使ったが、それでも足りない時がたまにあった。
そんなとある金曜の夜に、私はその晩珍しく暇そうだったガローネの専有スペースに車を停めてしまったのだ。
イタリアンな専有スペースに無断駐車すると車のタイヤは燃やされる、なんて大人になればみんな知ってることだけれど、若かった私にはそんな初歩的な常識観念すらなかった。
その日、仕事を終えて外に出ると、駐車場で何かが燃えていた。火を見るだけで嬉しくなってしまうような年頃だった私は、こんな大発見はないとばかりにワクワクしてチャンとメッシを呼びに行った。火を見ると案の定二人とも大喜びで、無駄に粗大ゴミを漁ってきては火にくべて、そんなに飲みたくもないビールをガブガブ飲んだ。我々は滅多にない駐車場での焚き火の機会を最大限に堪能することに必死で、一体何が何故、最初に燃えていたのか考えようともしなかった。
一人くらい気付けよ。。。
それ故、宴がお開きになって車に乗ろうとしたときの私の落胆ぶりはひどかったし、二人の喜びようも尋常ではなかった。チャンはニヤニヤしながら追加のビールの栓を開け、メッシは路上でのたうち回って大笑いして、直後に全く別の理由でのたうち回る羽目になった。
私の愛車の右前輪は、そこにひっついていなければならない筈の本体から一人立ちして、すっかり異臭と煙を放つ黒い塊と化していた。タイヤ君の一人旅は、最悪の結果に終わったように見えた。4つしかないタイヤの1つを焼失した車は何だかとても悲しそうに見えて、私は怒りよりもむしろ酷い悲しみにうちひしがれた。クルマ君に大変申し訳ない事をしたような気になったのだ。
が、夜が明けて陽が昇る頃には私は復活した。
即ち、激しい怒りが悲しみに取って代わった。
いや。その時分の私は知らなかったが、いつだって激しい怒りは深い悲しみの後に来るものなのだ。
私はその日、一日中プンスカしながら働いた。上司も他の同僚もみんな事情は知っていたが、私に話し掛けても慰めても私が無言でプンスカしているだけなので段々面倒くさくなったようだった。私の嫌いな西洋圏独特の「やれやれ」とでも言いたげな両腕を大きく左右に開くジェスチャーも、その日に限っては私を煩わせる事はなかった。
私のプンスカ具合は既に最高潮にマックスだったのだ。
仕事を終えてお隣のイタリア諸兄が帰るのを待ち、我々は早速ガローネ所有のメルセデスのタイヤを捨てた。私は一つで充分だったのだが、面白そうな匂いをいち早く嗅ぎ付けて出張ってきたロメオがそれじゃダメだとしゃしゃってきた。彼は、「ALL FOR ONE ! ALL FOR ONE!」とどこかで聞きかじってきたフレーズを連呼していた。我々には何の事かさっぱりだったが、どうも、四輪とも外しちまえ、ということらしかった。FORとFOURを勘違いした上に、明らかに意味も解ってない彼に説明するのは面倒だったので、我々は結局四輪とも、たまたまそこにあったつるはしとグラインダーで切り刻んで捨てることにした。
これにて一件落着。
な訳はなく、翌昼には私の車のフロントガラスには4ダース程の卵がこんがりと焼き付いて香ばしい匂いをたてていた。オーストラリアの容赦ない陽射しを受けたフロントガラスとボンネットである。かんかんに空焼きしたフライパンみたいになっているのである。連中がそこに気の利いたオリーブオイルを引くか?答えはノーである。かき混ぜられてぶちまけられた大量の卵はそれは熱い思いをしただろう。あっという間に焦げ付いたことだろう。結果私は新しいフロントガラスに取り替えた上、ボンネットは暫くの間食べ残しのひどい朝食皿みたいな状態で過ごさざるを得なかった。
これに怒ったのはロメオだった。
彼は職場も違ったし当然私の車に対する如何なる責任も負うところがなかったが、彼は怒り(と、今思えばある種の喜び)にうち震えていた。
彼は我々が止めるのも聞かずにその晩単独でガローネのメルセデスのオイルを抜き、その報復として翌日、私の車のガソリンタンクには80リットルの水が注ぎ込まれていた。
だからやめろって言ったんだよ。。。
優秀な奴ほど仕事が早い、とは言うが、これは私の予想より遥かに早かった。
昨日は原価をかけた嫌がらせだったのに今日は0円かよ、なんて不平を言っている場合ではなかった。
そしてこのレスポンスの早さは私の心を挫くのに充分だった。
良く良く考えてみれば損しているのは私とガローネだけで、儲かっているのは車屋だけだった。あとの連中は実際楽しんでいるだけだった!奴らは焚き付けるだけ焚き付けておいて結果私がしょんぼりするのを見ては憤って見せたり慰めてみたりして遊んでいた。
車屋も車屋でトムとジェリーみたいな男で、いかにもお気の毒と言うような体で度々私のところに来たが、いつだって両の眼がドルになっているのを私は知っていた。
「四駆車のタイヤだからちょっと値が張るねぇ(チャリーン)」
「こいつは古い型だから取り寄せに時間が掛かるよ(チャリーン)」
「何たって今日は日曜だからねぇ(チャリーン)」
「これは……水だね……(チャリーン)」
結局その晩私はディナー営業中のガローネに文句を言いに行き、ガローネは不遜な態度でそれを許した。
どうも彼らも驚いていたらしい。見せしめに燃やした筈のタイヤ。まさか自らそこに木をくべて嬉々としている日本人がいる、と。
私はただ、知らなかっただけなのに。
若かった私は謝ることが大嫌いだったが、ガローネが先に頭を下げた事に少なからぬ満足を覚えて、謝罪の言葉を述べた。そして、握手までした。
金もかかったし手間もかかったけど、今回は痛み分けってことで。
そう思った。
その暫く後に、隣街のカフェで私の車屋とガローネがお茶をしているのを見るまでは……。
明確な落とし処を出来るだけ早い段階で作っておくこと。
ガローネが私に教えてくれたこと。
今日は、そんなどうでもいい話でした。